全ての始まり

「――やあっ!はっ!」
 裂帛の気合いを込めて、イクは自分の剣の師匠へと斬りかかる。
 何度斬りかかっても受け流され、打ち込まれる。そのたびにイクの体には少しずつ新しい傷が増えていくのだが、本人はまるで気にした様子もなく、また剣を打ち込むことも止める様子はないのだった。
「たああーーーーっ!!」
 最後の最後、振るった剣が師の手首の防具へとクリーンヒットする。
 たまらず師匠が剣を取り落としたのを見て、返す刀で斬りつけようとして……刃が師の体に届く寸前で、その刃を引っ込める。
「……どうですか、師匠!」
 こんなことが出来たのは初めてだ。思わず弾んだ声になって、自らの師へと問い掛ける。
 しかし師匠は複雑そうな顔で自分の剣を拾い上げると、イクの肩に手を置いた。
「確かに、今の一撃は見事だった。だがしかし……ああいう時は、一切の躊躇もせずに振り抜きなさい。そうでなければ、自分の身を守るなんて、とうてい出来ないのだから」
「でも、それじゃあ師匠が怪我してしまいます」
 そうイクが反論すると、師匠は小さく笑って首を振った。
「銅の剣だ。たいした怪我にはならない。それに、お前の剣の腕で怪我をするほど、私はやわではないよ」
 その台詞に、思わずイクはむくれてしまった。
「どうせ私は、まだ非力ですよ!」
 小さくふくれながら、村の倉庫の外へと出る。
 青空の下で思いっきり伸びをして、稽古で疲れた体をほぐす。
 何で毎日こんな稽古をしなければいけないのかは分からない。ただそれでも、思いっきり剣を振り回すのは楽しかった。
 少しは強くなれたかな。そう思いながら、ただ黙々とストレッチを続ける。
 そんなイクの背に、柔らかく声をかけてくるものがいた。
「イク、稽古はもう終わったの?」
「シンシア!」
 声の主はすぐに分かった。
 自分がほとんど生まれた時からの親友で、まるで本当の姉妹のように育った幼馴染み。
 そんなシンシアに抱きついて、甘えるように頬をすり寄せる。
 シンシアもすぐにイクを抱き締め返して、その鮮やかな緑色の髪を撫でてやった。
「はー……癒される」
 思わずイクがそんな風に呟くと、シンシアが吹き出した。
「あはははっ!もう、イクったら!そうそう、イクのお母さんが呼んでいたわよ。夕ご飯、出来たって」
「本当!?」
 がばりと顔を上げ、シンシアへと尋ねる。そう言えばもう、お腹ぺこぺこだ。
 シンシアが頷いたのを見て、我が家へ向かって一散に駆け出した。
 とても平和な、どこにでもありそうな一幕だった。
 女の身で剣を振るうその理由は分からないながらも楽しかったし、そういうものなんだと単純に信じていた。
 ずっとずっと、こんな日々が続いていくのだ。
 そう、信じていたのに――

「……みんな、どこ……?」
 ほんの僅かな時間で廃墟と化してしまった村の中で一人、イクは小さく村人へ向けて呼びかけを続けた。
 なのに答えるものはなく、また、動くものの気配もない。
「……何で?」
 どうして、自分の村の人間が狙われるのか、訳が分からない。
 倉庫の奥の隠し部屋に押し込まれる際、誰かが「勇者」と口走っていたような気がする。
 ……勇者って誰だ。まさか、自分のことか。
 勇者なんて知らない。そんな称号、自分は要らない。
 ただ、ずっと平和なこの村でのんびり出来ればそれで良かったのに、なのに……。
 涙に暮れながら村の中を彷徨った。
 いつもシンシアと一緒に昼寝をした花畑の辺りに立つ。そこは毒の沼地と化しており、花は枯れ、地面は焼けこげ、見る影もなかった。
「嘘……嘘よ……」
 悪い夢だと言ってくれ、誰か。
 花畑の中央に立つ。そこの地面だけは、切り取られたかのように綺麗だった。
 その時、足下で小さく何かがきらりと光る。
「これは……」
 拾い上げてみると、それはシンシアがいつも身につけていた羽帽子と分かった。
「シンシア……」
 後から後から、涙があふれて止まらなくなる。
 その羽帽子を胸に抱いて、イクは激しく泣き続けていた。
「……行かなくちゃ」
 やがて涙も枯れ果てた頃、イクはゆっくりと立ち上がり、歩き始めた。
 どこに行くのかなんて分からない。歩いたところで、どこにたどり着くのかのかも分からない。
 ただ、ここで立ち止まっていることは、シンシアも両親も、村の人たち誰もが許さないような気がしたのだ。
「さようなら……みんな」
 涙を拭いて、自分では被ることが出来ないシンシアの羽帽子を胸に抱いて歩き始める。
 その背中は、小さいながらも堂々としたものだった。

――こうして、運命の扉は開かれる。
 導かれしものたちの思いを抱いて。